「レジス・カンポ作曲マスタークラス&コンフェランス」開催報告

「レジス・カンポ作曲マスタークラス&コンフェランス」は、4月25日に杉並公会堂のスタジオCにて開催されました。

講師を務めるレジス・カンポさんは南フランスのマルセイユ出身、パリ国立高等音楽院を一等賞で卒業したのち、ローマフランス芸術アカデミーの奨学生(旧ローマ大賞)に選出され、本格的なキャリアをスタートさせます。すでに160曲あまりを数えるカンポさんの作品は、世界の名だたるソリスト、アンサンブル、オーケストラによって各地で演奏されており、いま世界でもっとも活躍するフランスの作曲家のひとりです。現在はマルセイユ地方音楽院教授、ニュールンベルク歌劇場のレジデントコンポーザーもつとめています。

Campo_1

今回の講座は三部に分かれており、第一部が受講生の作品をカンポさんが指導する公開レッスン、第二部はカンポさんの代表作のひとつである「ポップアート」の自作分析、第三部がカンポさんとそのパリ音楽院時代からの良き友人である夏田昌和協会事務局長、そしてカンポさんの奥様であられる指揮者の阿部加奈子協会代表の三人による対談という構成になっています。なお阿部さんには、今回の講座の通訳もつとめていただいています。

第一部の作曲公開レッスンは松尾怜奈さん、對馬樹さん、山本雄一さん、向井航さんの四名の作曲家の方が受講されました。カンポさんはそれぞれの音楽の魅力と作曲家としての力量を高く評価しながら、全体の構成から細部の楽器法に至るまで、それぞれの受講生へ的確にアドバイスしていきます。楽譜に書かれた意図と実際の効果の差異を即座に読み取っていくカンポさんの頭の回転の早さと耳の良さに感嘆しつつ、筆者が特に印象に残ったのは、つねに楽曲全体との関係からそれぞれの部分を論じていく姿勢でした。レッスン中には「建築家のようにいつも建物全体を考えながら曲を作っていく」という言葉もありましたが、音楽の全体像を見通す視野の広さと想像力のつよさが、カンポさんの音楽に感じられる、自然な時間の流れにつながっているのでしょう。

また「展開に行き詰まったら、同じ音楽を繰り返してもいい」「いつもすべての楽器が違うことをする必要はない、複数の楽器をユニソンやオクターブで重ねてもよい」といったアドバイスからは、現代音楽のある種の固定観念に囚われない、カンポさんの軽やかな音楽観が感じられます。例として挙がる作曲家の名前もクラシック、現代音楽にとどまらずレディオヘッドのジョニー・グリーンウッドにまで及ぶなど、カンポさんの幅広い知識と、先入観にとらわれないしなやかな感性が随所にうかがえる、大変に刺激的なレッスンだったと思います。

Campo_3Campo_2

 

 

 

 

 

続いての第二部はカンポさん自身による分析講座で、作品はつい先日4月23日に渋谷のさくらホールで演奏されたばかりの室内楽曲「ポップアート」が取り上げられました。編成はフルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノの五重奏で、2002年に初演されたのち世界中で再演され続けている名曲です。23日の演奏会でもTokyo Ensemnable Factoryの熱演に会場は大いに沸きました。ちなみにそのコンサートを指揮されたのは、カンポさんの最大の理解者でもある奥様の阿部加奈子さんです。

ヨーロッパの批評家たちは、カンポさんの音楽を語る際にしばしば「Ludisme, Ludique 遊戯性、遊戯的な」という言葉を用いるそうです。カンポさん自身がオペラ・ブッファやコミカルな街頭劇、マリオネットなどを愛好していることもあって、このLudismeに代表される「ユーモア」の感覚は、カンポさんの音楽に通底しているものです。もともとラテン語のフモール(humor、体液)を語源とするユーモアは、人間のもっとも根源的な感情のひとつであり、自分の音楽は「Ludisme de la vie 生の遊戯性」というものへのアレゴリーなのだ、とカンポさんは語ります。

Campo_4

先日二曲目となるオペラ「Quai Ouest 西埠頭」を書き終えたばかりのカンポさんは、曲を古典的な形式に当てはめて分析することはせずに、オペラのように三場に分けて説明します。もちろん「ポップアート」には歌も台詞もありませんが、その音楽は演劇的な性格を持っており、そこにはある種の「mise en scène 演出」が存在しているのです。カンポさんは、メシアンが『春の祭典』の分析で用いた「Personnages rythmiques リズム的登場人物」という概念になぞらえて、曲を構成する3つのモティーフを「Personnages théâtrales 演劇的登場人物」と名付け、それぞれの特徴を説明していきます。一人目がはっきりとしたリズムのキャラクターを持った人物、二人目が装飾音のようにすばやく駆けまわる人物、そして三人目が前のふたりの「邪魔をする」荒々しい人物。「粗野な存在が洗練された存在を妨げる、そこにユーモアが生まれるのです」というカンポさんの言葉は、オペラ・ブッファやコメディア・デラルテなどの喜劇芸術への深い造詣に裏打ちされているのでしょう。実際の楽譜を追っていくと、第一場で提示された三つのPersonnagesが、変化しながら音楽の展開を作っていく過程が明確に表れており、複数の人物がひとつに合わさって新しい素材を生み出していく様子なども、楽譜上にはっきりと見て取れました。

Campo_5

まだまだ書き足りないことがありますが、最後に曲の第三場の説明しながらカンポさんが語った若い作曲家たちへのアドバイスについて、とても示唆に富んだ内容だと思いますので、ここに要約しておきます。

「もしあなたが作曲の途中で行き詰まり、一音たりとも進められなくなってしまったとき、大切なことはそこで新しいアイデアを探そうとしないことです。あなたの求めている答え、問題の解決法は、すでにあなたが書き終えた楽譜の中にあります。そこに必ずこの先に発展・帰結すべき素材があらわれているのです。作品とは一つの身体のようなもので、例えばこの『ポップ・アート』で使われている素材も、身体のそれぞれの器官のようにすべてが関係し合っています。そこへ無理に新しいアイデアを継ぎ足そうとすれば、その音楽の有機的な組成を崩してしまいます。私が考える作品の姿は、有機的に展開された音楽が、それ自身の必然的な帰結にまでたどりつくものです。音楽が持っているエネルギーをすべて出し尽くして、それ以上続けられなくなったときに、曲は終わりを迎えるのです」

第三部は、カンポさん、阿部さんに作曲家の夏田さんが加わっての座談会です。互いに気心の知れた古くからの友人ということもあり、話題は幅広い内容を自在に行き来しながら(時折脱線もしながら)終始和やかな雰囲気で行われました。

まずカンポさんと夏田さんの出会いや、三人の共通の知人たちについて話題になったあと、夏田さんがカンポさんの音楽を「思わせぶりなところが少しもなく、生へのバイタリティに満ちている」と評します。ときにはハ長調のシンプルな響きだけで曲を書いてしまうカンポさん独自のスタイルはしかしながら、深刻で難解と言われる表現が主流であるヨーロッパの現代音楽においては異質とも言え、「そのことで今までに居心地の悪さを感じたことはないか」と夏田さんは問いかけます。カンポさんは「いつも感じています」と即答して会場を笑わせたあと、大切なことは他の作曲家や権威のある人物の言葉に惑わされずに、自分自身を守ることだと続けます。作曲家というのはしばしば非常に繊細な人種であり、美学的に相容れない相手との衝突は、自らを意気消沈させるだけなのだから、と。 

また、二人のパリ音楽院時代の師匠であるジェラール・グリゼイ先生の思い出話にも花が咲きました。グリゼーのクラスでは多くの作品の分析をしたそうですが、その対象はオケゲムからシュトックハウゼンにいたる古今の西洋音楽にとどまらず、ときにはソロモン諸島の歌や、ノルウェーのフィドル音楽など、世界中のあらゆる音楽に対して関心がひらかれていました。皆さんのお話のなかでも特に印象的だったのは、グリゼイのヤナーチェクへの愛着(「4回に1回はヤナーチェクの分析だった」と夏田さん)と、ベートーヴェンやシベリウスの「タピオラ」に代表されるような、「ひとつのアイデアですべてが作られている音楽」への強いこだわり(阿部さん)についてでした。彼の代表作である「Espaces acoustiques 音響空間」の連作も、たったひとつのアイデアから壮大な音宇宙を創りだした傑作のひとつといえるでしょう。第二部でカンポさんの語っていた「ひとつの身体のような音楽」という表現にも、どこかグリゼイの考えに通じるものがあるように感じました。

Campo_6

また、晩年のグリゼイが旋律というものに対してつよい関心を持っていたというのも、興味深いお話でした。当時のグリゼイのパートナーがメゾ・ソプラノの歌手だったこと、ヴォルフの歌曲をオーケストレーションしたり、授業でラヴェルの歌曲集「博物誌」をピアノで弾いて「いい曲だね」とつぶやいたエピソードなども紹介されました。また遺作となった「境界を超えるための4つの歌」においても、新しい旋律への可能性のたしかな萌芽が見られます。グリゼイによって予告された旋律の探求は、21世紀の作曲家たちに残された大きな課題なのかもしれません。 

会の後半では、夏田さんからカンポさんへ「こういうスタイルは許せないと言った音楽はありますか?」という質問もありました。カンポさんの答えは、ある特定のスタイルというよりも、「こういった音楽が今の流行だから」という理由で書く作曲家や、他の作曲家が成功したあるスタイルをそのまま踏襲しようとする作曲家の音楽は、まったく理解できないし好きにもなれない、というものでした。ミニマル・ミュージックや、最近フランスで取り上げられる機会の多い Musique de Saturation(飽和音楽、奏法の工夫によって楽器から様々な種類のノイズを引き出し、それらの非楽音的な素材を組み合わせて新たな音響を生み出していく音楽)などについても、その第一人者と目される作曲家の音楽には魅力があるが、それに追随するだけの作品には魅力や必然性を感じないと語っています。カンポさん自身が若い頃から自分自身の作風を貫いてきた作曲家だけに、「周りの意見に一喜一憂せずに、しっかりと自分の創作の領域を守ること」というアドバイスには、強い説得力がありました。

話はまだまだ尽きせぬ様子でしたが、残念ながらここで終わりの時間となってしまいました。長時間にわたって熱心な指導と示唆に富んだ多くの言葉を聴衆に届けてくれたレジス・カンポさん、またそれを絶妙のタイミングと語り口で日本語に訳してくださった阿部加奈子さん、今回の企画の中心となり、また座談会でも多くの興味深いエピソードをご紹介いただいた夏田昌和さん、そしてご参加くださったすべての受講生、聴講生の方々に御礼申し上げます。

(事務局台信記)

 Campo_7