サックス奏者・クロード・ドゥラングル 特別インタビュー

クロード・ドゥラングル氏インタビュー(サックス奏者、パリ国立高等音楽院教授、日仏現代音楽協会名誉会員)

2013年12月19日パリ国立高等音楽院にて インタビュアー : 阿部加奈子(録音・写真・翻訳 : 松宮圭太)

— まず日本との出会いについてお話頂けますか。

ドゥラングル『私が日本を知ったのは私の父のお陰でして、父は東京で10年間料理の指導をしていたんです。沢山の日本人が私の両親の元を訪ねたものでした。そういうわけで音楽院時代は、武藤賢一郎や野平一郎といった日本人の友人が自然と出来ました。学業を終えてからは、コンサートやレクチャーのために日本にしばしば行くことになりました。サクソフォンの代表的な楽器メーカーであるセルマー社との関わりで行く機会を得ました。

日本では他の国よりも、サクソフォンが他の吹奏楽器と同じように扱われている印象があります。つまり、日本にはサクソフォンのために作られた作品が多いんですね。私が1996年に録音した最初の日本の音楽のCDでは、野平一郎のアラベスクIIIや、湯浅譲二、武満徹の作品などを取り上げています。また、ジェラール・グリゼーと棚田文紀に紹介された若手の作曲家、夏田昌和にも作品の委嘱をしました。このディスクは大変上手くいき、彼らの音楽によって私は日本の音楽にすっかりはまってしまいました。日本の建築に見られるような微細な関係性、伝統的な形式の中に直感と自然を兼ね備えた点、それらが日本の現代作品において最も私の興味を引く部分です。歴史上何かと裂け目があったにも関わらず、伝統との隔絶がない。日本人はルーツを切り捨てていない。過去への敬意に基づく創造性の範例として、私は日本を愛しています。

また、小林真理と一緒に『ジャパニーズ・ラヴ・ソング』と題した日本の音楽のCD第二弾(2007年)を録音しました。このCDは、声とサクソフォンの関係を示すという目的のものでした。2013年11月には、いずみシンフォニエッタ創立60周年の機会に野平一郎の『網目模様 サクソフォンと室内オーケストラのための』を初演しており、その前年にもIRCAM(フランス国立音響音楽研究所)にて我々は彼の30分の労作『息の道』を初演しています。』

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— 初演を行うにあたって、フランス人作曲家と比較して日本人作曲家についてどう思われますか?

ドゥラングル『日本の作曲家はサクソフォンのことをよくわかっていますし、彼らのプロフェッショナリズムを高く評価します。そして日本のサクソフォン(作品)に大変好感を持っている点は、柔軟性の模範のような日本の伝統楽器、尺八に見られるような日本的な器楽の世界観です。つまり、息の音と音程との間において、そしてアタックの際の種々のミクロな現象などにおいて繰り広げられる音色の幅の豊かさです。』

— 確かに日本の伝統音楽には、音楽が一つの音に還元し得るところがありますよね。

ドゥラングル『そう、「一音成仏」です!一つの音が音楽の全てなんです!私の娘、上の方の娘が音楽療法士なんですが、音楽作品として立ち現れる一歩前の音との関わりから得られた彼女の素敵な体験を、いつも私に知らせてくれるんです。それでいうと、現代音楽が録音によって失われるものの大きさを思いますね。。オーディオ機器というのは、現代音楽が会場で与える音響の本当の体感を伝えるものではないですから。野平一郎のイキノミチ(『息の道』)つまりイノチは、そういう観点で印象的なのです。命の元は息であるっていうね!

私は日本の伝統音楽をそれなりに知っていますが、演奏にも関心があるんですよ。尺八奏者は、竹筒を抜ける風の音楽を聞かせるために、舌を一切使わないんですよね。風は息を生み、振動を生む。そして音楽が生まれる。日本の現代音楽には、そうした次元の音楽が確かにあるんです。』

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— 日本には確固とした宗教が無いと言われます。神道、つまり自然崇拝から生まれたアニミズムに基づいた国で、自然には敏感で自然を身近に感じる人々はいます。西洋音楽は、同時に多くの人に話を聞かせたり音を拡声して届けることのできる大聖堂、教会の響きの中で生まれ発展してきています。一方、日本の音楽は木でできた家やあるいは空の下で生まれ、ある種室内楽のような内輪な密接さのものであると、そのように私は思うのですが。

ドゥラングル『興味深いですね!日本音楽について書かれた丹波明の本にそういったことが書かれていました。自然、信仰が霊感の源泉であると。私が音楽をやっていく上で信仰していること、それは作曲家の友人達と関係を続けることによる喜びです。』

— 現代音楽に対する情熱を語って下さいますか?

ドゥラングル『私がリヨンの音楽院の学生だった頃、他のレパートリーと分け隔てなく現代音楽をいとも簡単に私が演奏しているさまに、私の師事していた教授が着目していました。そして間もなく教授はこの分野で私を励ましてくれるようになりました。私は二十歳の頃、ピアニストの妻と共に初めて録音を行います。ビニール盤でしたね。我々は現代音楽をもっぱら録音しました。その頃にドゥニ・デュフールに電子音響とのミクスト作品を委嘱もしましたね!

作品の初演を行うというのが既に私の重要なテーマとなっていました。政治的にそう選択したわけではなくね!そうして、種々様々な作曲家の美学と触れ合うことになりました。ドビュッシーのラプソディと現代のレパートリーで楽器の扱いや技術において大きな切れ目は特にないんです。重音、スラップ、ダブルタンギング、循環呼吸などは楽器の延長にあるものであり、拡張されてきた技術です。こうした技術は皆、日本の伝統音楽の中に既に見られるものですから、日本において現代音楽を提示していくというのは言ってみれば難しいことなのかもしれませんね。。』

— 日本において現代音楽を演奏することの難しさとは?

ドゥラングル『どうも「聴衆受けする」音楽や何かしかの編曲ものが基本的に演奏会のプログラムに入っていることに驚かされますね。』

— 確かに。パリの聴衆は様々ですよね。好奇心いっぱいでIRCAMの演奏会に来る老夫婦なんかもしばしば目にしますし。

ドゥラングル『つまり我々演奏家の役割とは、どのように共有できるかを学びつつ、新しい聴衆を船に上げるようなことかもしれませんね。ダンサー達がやっていることです。フランスでは今日、ダンサー達が現代舞踊の世界で大衆的な人気を保ちつつ深い仕事をしており、新たな可能性の扉を感じますね。。』

— 演奏家として多くの作曲家と仕事をし、共同作業をされていますが、ご自身で作曲をされたいと思われますか?

ドゥラングル『私の場合は作曲の代わりに即興をやっている感じです。協奏曲のカデンツや、演奏会の幕間などにやるような。即興に関してはヴァンサン・レ・カンと仕事をするのが特に好きですね。もし私にもう少し時間があれば、作曲をすることもやぶさかではないと思っていますが。。』

— 日本人のサクソフォン奏者に対してどう思われますか?

ドゥラングル『概して非常に素晴らしいクオリティですし、日本の奏者たちは素晴らしいですね。また、響きに関して特徴があります。日本人の特質とでもいうべきものがあって、恐らく教育(集団での訓練、実践をベースとした)と関係があるのでしょうが、また、日本語の滑舌との関係、非常に穏やかでそれでいて明快な発音とも関係していると思います。』

— 日本語では、子音が独立して使われず、常に母音とセットになっています。

ドゥラングル『そうですよね。そういうこともあって、日本人の管楽器奏者にとっては、フラッターや倍音など一部の奏法が難しいことがあるのでしょう。管楽器において響きは、基本的に口に寄る音量の変化によって、またどれだけの種類の変化ができるかによって形作られます。今の若い奏者は既にそうしたことがちゃんとできているんですけどね!彼らはそれなりのレベルのものを修めていて、イベールやグラズノフ、マルタンやドビュッシー、そして現代音楽の演奏に必要な奏法をできるレベルにいます。大したものだ!私の目的は、開かれた視点を持つ若者を育てることでして、「ネオアカデミズム」といった類のものは信用していませんし、また観客の前ではそういうものは通用しません。』

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— 今後のプロジェクトと芸術上の関心についてお話頂けますか?

ドゥラングル『2つの録音をする予定です。オーケストラとソロの録音がありまして、ソロの方は音楽の縦と横の関係を扱った新曲集です。バッハの音楽に近いような。また、大きなプロジェクトがありまして、パリ音楽院の歴史において生まれてきた「エチュード」を取り上げます。

長期的なものとしては、教育的目的で行う声楽との複数の新曲のプロジェクトがあります。テーマは「響きと自分」。広大なプログラムです!我々は身体のことを疎かにしがちです。若い世代は特に。文化にせよ音楽にせよ楽器のことにせよ、計画やプランの方に重きを置き過ぎです。身体がただの道具になってしまっている。喜びを伴わない機械、何かに役立つための存在や何かを最適化するためだけのものになっている。しかし、「私の身体」とは、まず「私」自身であり、雑巾を絞るように扱えるものではありません。演奏=解釈のプロジェクトというのは、作品と自分の身体の最適な関係を見出すということです。演奏するとは、何よりもまず「自分のために聞きとること」なのです。「あなたが理解しているようにやってみなさい」と言うとき、理解するということの中心には”聞く”ということを置いているのです。(注)

*注 仏語日常表現の「あなたが理解しているようにやってみなさい”Faites comme vous l’entendez” 」のentendreは聞こえる、耳に入るという動詞。(松宮)

学生は皆プロジェクトをもっており、音楽をどう演奏するかを知っていて、それを行う技術も持っており、そして「音楽的に」演奏したいと思っています。でも「音楽的に」演奏する必要なんて本来的には無いんです!耳を傾け、演奏すればそれだけでいいんです。私が聴いているものを他の人に聴かせることはできませんが。そしてそれは現代音楽の問題でもあります。つまり、現代音楽がしばしばそれだけ難しく、身体の内側での聞こえに同化し辛く、またその可能性を超えてしまうからです。その場合、演奏解釈とは子供がテキストをたどたどしく読むようなものになってしまいます。読んでいることははっきりとわかるけれど、誰も内容を理解できないっていうね!これはもちろん素晴らしい訓練にはなりますが。新曲初演の仕事は一層難しいです。作曲家と演奏家がリアルタイムに意味を形作る作業ですし、意味を「明らかにしていく」作業ですから。私の演奏を聴きながら作曲家が作品のコンセプトを変えるというようなこともこれまでにありました。人は頭でっかちに考えがちですが、耳で聴くことがもっと大切なんです。私は息を使い、指を動かし、耳で音を聴き、私はそれらで何かをこしらえます。それが、演奏です!美学の問題はその下にあるものです。』

— 日仏現代音楽協会の会員に対して、もし良ければメッセージを頂けますか?

ドゥラングル『「素敵な人生を音楽的に過ごして下さい」!誰かとの会話、友人たちとの関係、全てが実際は音楽です。聞くことを通じて他人を理解することです。ましてや我々は異なる文化からやって来た人間なのですから。人はよくこういう言い方をします。「日本人とフランス人の理解なら簡単だ、お互いに無いものを有していて、お互いに魅力を感じている者同士だから」と。日本の文化にはフランス人を魅了するものがあります。でもフランス人は、ドビュッシーによって賛美されたもの、フランスの文化の中に既に入っているものに魅了されています。それがフランスの傲慢さです。日本人がどうしてそんな扱いに耐えられるのか私にはわからない。あなた達はヒーローなのに!フランスの社会はバラバラです。日本の社会が理想の形だと思っているわけではありませんが。フランス人は均衡とバランスを好み、一方で気まぐれで気分屋です。フランスの社会では共に生きる困難が山のようにあります。誰かが誰かを押しのけて生きています。どうやって包括できるのか?どうやって他人に耳を傾け、他人の長所をどうやって取り上げるのか。あなた方を見て生きたいと思います!』

(聞き手:阿部加奈子 日本語訳:松宮圭太)

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クロード・ドゥラングル

クロード・ドゥラングルは現代音楽の普及に勤しみ、独創的なプログラムと演奏会の形の変革によって知られてきた。ルチアーノ・ベリオおよびロンドン・ヴォイスとの共同による舞台「カンティクム」、エグザンプロヴァンスにおける「未来のタンゴ」、ザグレブ・ビエンナーレの「クエスト」、IRCAMおよび静岡音楽館AOIにおける「Récit」、振付師ロイック・トゥゼとの共同による「エリュシダシオン」、マンカおよびニースにおける「日本の歌」などは、そうした彼の問題意識、現代音楽をどう共有していくかの考察を深めるために重要なプロジェクトとなった。

ドゥラングルは敬愛するアミ、ベリオ、デニゾフ、デュフール、グリゼー、ジョラス、リゲティ、ピアソラ、シュトックハウゼン、平、武満などの作品を初演しており、カンパラ、デュベドゥ、デュリユー、細川、ユレル、ジャレル、ジョドロフスキ、ローバ、ルルー、ロペスロペス、ルヴィエ、マントヴァー二、マタロン、ナオン、夏田、野平、ロバン、ストラスノイ、棚田、トンチャチエと共に親しく共同作業を行っている。パリ国立高等音楽院の作曲学生およびイルカムのキュルシュス生は、パリ国立高等音楽院の彼のサクソフォンの学生としばしば共同しており、創造と普及が彼の音楽活動の動機となっている。

ソリストとしては、オーストラリア室内オーケストラ、ロンドンBBC、ウェールズ国立BBC、フランス放送管弦楽団、フィンランド放送管弦楽団、ケルン放送管弦楽団、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団、紀尾井シンフォニエッタ東京、メトロポリタン東京、アンサンブル・アンテルコンタンポラン、サン・ペテルスブルクフィルハーモニー、モンテカルロフィルハーモニー、リヨン国立管弦楽団、香港市室内オーケストラ、シンガポール交響楽団、ウィスコンシン室内オーケストラ、北ニューヨーク交響楽団、台北管弦楽団、国立台北管弦楽団、サン・パオロ・カメラータ・アベルタ、ノヴォシビルスク室内オーケストラと仕事をし、ピエール・ブーレーズ、チョン・ミュンフン、ペーテル・エトヴェシュ、デイヴィッド・ロバートソン、エサ=ペッカ・サロネンなどと仕事をしている。

BISレーベルから専属契約で15本のCDをリリースし、ドイチュ・グラモフォン(ヴェーベルン、ベリオ)、ハルモニア・ムンディ(フランス音楽)、エラート(ドビュッシー、コンスタン)ラジオ・フランス(グリゼー、ルルー、デュフール)、ヴェラニー(デニゾフ)において作品を録音している。パリ・アンリ・ルモワンヌ出版社の改訂作業の一部を指導し、パリ・アンリ・セルマー協会にて試作楽器の開発に貢献している。