声楽家・小林真理 特別インタビュー

日仏現代音楽協会の名誉会員であり、現在フランスを中心に活躍される声楽家、そしてストラスブール音楽院の教授も務められている小林真理さんが、当協会のインタビューに答えて下さりました。ご自身の留学体験や日本とフランスを行き来されての現在のご活動についてたっぷりとお話をして頂きました。

・・・今回の日本滞在の目的についてお聞かせ下さい。

小林『4月20日に倉敷の大原美術館で「ブラームスはお好き?Aimez-vous Brahms?」というタイトルの、オールブラームスのコンサートをやりました。編成はピアノ、チェロ、歌です。ピアニストのMichel Benhaiemさん、チェリストのAlexandre Somovさんはともにストラスブール音楽院の同僚で、Somovさんはストラスブール・フィルのスーパーソリストでもあります。以前、彼らがブラームスのデュオを演奏しているのを聞いてとても良いなと思ったのがきっかけで、ふたりとも日本が大好きなのに行ったことがないと言うから、じゃあ私がなんとかしましょうと言って実現させたのが今回のコンサートです。

プログラムは、まずブラームスのチェロ・ソナタ、バラードに歌曲を3つ。後半はブリテンがブラームスのドイツ民謡集をチェロとピアノと歌のためにアレンジしたものと、私がどうしてもやりたかった四つの厳粛な歌、そして最後に作品91の二つの歌曲を演奏しました。その前の14日にも、同じプログラムで京都のテアトロ・マロンというところでコンサートをしましたね。

その後は鎌倉の両親の家に移って、22、23日に汐留で恒例のマスタークラスをやりました。日本に帰国するとかつてフランスに留学していたお弟子さんたちがレッスンをしてほしいと言ってくださるので、滞在中の限られた時間を有効に活用するために、3年ほど前からほかの人のレッスンも自由に聴講できるマスタークラスを続けています。』

・・・留学先としてフランスを選ばれた理由は何でしょうか? 留学前からフランス歌曲を専門に学ばれていたのですか?

小林『私は3歳の頃から音楽学者の大宮真琴さん夫妻にピアノの手ほどきを受けていたのですが、大宮さんは宅孝二さんという、パリのエコール・ノルマル音楽院で学んだ、当時では大変めずらしいフランス音楽を専門とするピアニストのお弟子さんだったんですね。先生方の演奏するミヨーのスカラムーシュやプーランクのトリオなどを聞いていたので、フランス音楽には小さい頃から親しんでいました。そのあと四谷雙葉学園 (フランス系ミッションスクール) で小・中・高と学んだということもあり、自然とドビュッシーが好き、印象派が好き、フランス映画が好き、フランスの食べ物が好き (笑)、フランス、フランスという風になっていきました。

ピアノと作曲をすこし習ったあとに、演劇が好きだったこともあって10歳から中村浩子先生のもとで声楽の勉強をはじめました。そして15歳のときに、浩子先生のすすめでレジーヌ・クレスパンの演奏会を母とふたりで聞きに行ったんです。日比谷公会堂の最前列で聞いていたのですが、その時のクレスパンさんがもう落ちてきそうなすごい胸で (笑)、すごい声ですごく上手で、もうこれは絶対にこういう歌い手になりたい、いつかクレスパンさんに習いたい、とつよく思うようになりました。

その後、芸大で引き続き浩子先生のもとで学び、大学院でピュイグ=ロジェ先生について勉強をしていたら、ちょうどクレスパンさんが引退してパリ音楽院で教えることになったんです。ピュイグ先生が「今がチャンスだ」と推薦状を書いてくださって、フランス給費留学生としてクレスパン先生のもとで学ぶことになりました。』

・・・当時のパリでは、どんな日本人の音楽家の方々が周りにいらっしゃいましたか?

小林『すぐ一年あとに、同じ給費留学生でテノールの武田正雄さんがいました。ほかにもピアノの菅野潤さんやバリトンの鎌田直純さん、これまでに何度も共演している棚田文則君 (ピアニスト・作曲家) もいましたね。ソプラノの奈良ゆみさんもいらしたし、芸大の後輩だったソプラノの大塚朝代さんなどもいました。でも今ほどたくさんはいなかったですね。』

・・・フランスに留学されたばかりの頃のエピソードなどがありましたら教えていただけますか?

小林『まず7月に給費留学生としてボルドーへ送られて、9月の入学試験まで語学の勉強をしました。それから試験の前に一度クレスパン先生にレッスンをしてもらおうと思ったのですが、どうしても先生と連絡がつかない。ピガールの柵付きのプライベートな小道にある先生のお宅にも行ってみたのだけれど、「ランデブー (約束) を取ってこなくちゃダメよ」とお手伝いさんに言われてしまって、結局試験の前にクレスパン先生のレッスンを受けることはできなかったんですね。

それで試験に合格したあと、9月にはじめてのレッスンがあったのですが、部屋で先生がくるのを待っていたら、そこへ見事に日焼けした肌に真っ白なつばの広い帽子をかぶったソフィア・ローレンのような ディーヴァが入ってきた (笑)。「あなたがマリね ? じゃあ歌ってみて」と言われマスネのウェルテルのアリアを歌ったんですが、もうすっかりあがってしまって、出だしの「ウェルテーール」が「ウェルテ〜〜ル」となってしまい、「あら、声が揺れるわね」と (笑)。それがクレスパン先生との最初の思い出ですね。それから発音を全部直して、息の使い方や舌の位置など、日本にいる頃には全く考えていなかったことを先生のもとでひとつずつ学んでいきました。

もうひとつ覚えているのは、これは音楽とは関係ないのですが、私が留学した当時は街で公衆電話を使うときにジュトンという専用のコインを入れたんですね。これをあらかじめカフェなどで買って、電話器にコインを入れてからAppuyez (押す) というボタンを押すと、通話ができるようになるという仕組みです。ところが私は、そのボタンから指を離すと電話が切れてしまうと思い込んでいて、話しているあいだじゅう必死になってボタンを押し続けていた(笑)。あとでフランス人に公衆電話を使うと指が疲れて仕方ないとこぼしたら、そんなのあなた一回押したらずっとつながってるわよと呆れられました。』

・・・パリ音楽院を卒業された後、フランスに残られる決断をされたのはどんな理由からですか?

小林『クレスパン先生のもとで勉強した後、声楽科のプリ (卒業試験) を受けたのですが、私はこれを取ることができなかったんですね。3回受けてすべてダメだった。それで日本に帰ろうかなと思っていたら、クレスパン先生は「あなたにはまだパリでやれることがある」と言ってくださったんです。というのも、その頃の私はすでに色々なところで現代曲を歌ったりしていたんですね。もともと絶対音があるからソルフェージュはよくできて、ソルフェージュのクロード・ラヴィア先生の代講をしていたこともありましたから。あるとき、ドゥニ・コーエンという作曲家が、ローマのメディチ荘で演奏される自分の作品の歌い手を探していたんです。当時の私はまだ学生だったのですが、ラヴィア先生のすすめでオーディションを受けたらそれに通って、その作品をローマで歌いました。そういった活動をクレスパン先生は知っていらしたんですね。それでフランスに残ることに決めて、オペラのクラスに入り直してプリを取ったんです。

また、その当時の私はあまり声量がなかったので、古楽も合うのかなと思い当時教えはじめたばかりのウイリアム・クリスティ先生のクラスで古典声楽のプリも取りました。』

・・・古楽のご経験もおありなのですね。古楽や古典的な作品を歌われるときと現代作品を歌われるときとでは、取り組み方などに何か違いはありますか ?

小林『現代曲と古楽には似たところがあります。というのも、どちらもヴィブラートのかかり過ぎた声は良くないからです。クリスティ先生も声が揺れることをとても嫌っていました。私は歌う音楽によって発声を変えることはありませんが、いろいろな種類のヴィブラートを自分なりにコントロールすることや、良いヴィブラートの出し方は、現代音楽からその多くを学びましたね。

他にも通常の歌唱以外の、ささやいたりといった様々な声のテクニックを知ることもできました。また、 現代曲にはしばしば音域の跳躍がありますが、それを上手く歌おうとすると自分の声の「場所」 がわかる。低い声を出すときはここに響かせるとか、高い声を出すときにはここ、そしてそれを移動させるにはどうするか、そういったことがわかる。ですから現代曲を歌うことは、歌い手を志す今の学生にはとても重要だと思います。現に私が教えているストラスブールでは、試験曲の中に必ず現代曲を入れることになっています。それは現代を生きる演奏家にとって当然のことなんです。』

・・・ストラスブール音楽院のクラスには、どのような生徒さんがいらっしゃいますか ?

小林『ほとんどがフランス人ですが、他にもウルグアイやギリシャ、トルコなどから来ている学生もいます。私が教えはじめた2004年にはヨーロッパ人しかいませんでしたが、日本からの生徒もだんだんと増えてきて、現在は16、7人のクラスのうち5人が日本人ですね。』

・・・欧米の言語による楽曲を歌われるときと日本語の歌曲などを歌われるときでは、意識や取り組み方に違いはありますか ?

小林『私の場合、違いはありません。それは言葉の問題なので、日本語なら日本語の、フランス語なら フランス語の意味が分かるように発音するという努力はしますが、それによって発声を変えたり、ときおり耳にするような「日本歌曲は平坦で潰れたような声で歌う」といったことはしません。いい発声で、なおかつ日本語が日本語なりに分かるように、言葉として気を遣うだけです。』

・・・では、ソロやピアノ伴奏と歌われるときとアンサンブルの中で歌われるとき、あるいはオペラなどでオーケストラをバックに歌われるときとで、発声や歌い方を変えたりということはあるのでしょうか?

小林『これもありませんね。ただ、編成やジャンルによって作品のスタイル、もともとの書き方が違うので、その書法に忠実に歌うようにすることで、違いが現れてくるというのはあります。たとえば、歌曲なら言葉を大切に歌うように書かれているし、オペラの場合は言葉も大切ですがそれ以上に大きなフレーズの流れがあったり、アンサンブルであれば声を含めたそれぞれの楽器が均等に聞こえるようになっている。作曲家の書いたものを信じてその意図を表そうとすれば、自然にそれぞれのスタイルになると思うんです。もちろん、これはちゃんとした作曲家が書いたという前提での話ですが (笑)。』

・・・いま作曲家という話が出ましたが、小林さんは私をふくめて多くの現代の作曲家とコラボレートしていらっしゃいますね。そんな歌い手の立場から、同時代を生きる作曲家にどのようなことを望まれますか?

小林『やはり先ほど申し上げた、スタイルや歌と言葉の関係といったものを理解して書いてほしいということがひとつ。もうひとつは、作曲家自身がその曲を実際に歌いながら書いてほしい。たとえば ddd..というようにdの子音を伸ばしつづけることはできない、でもzzz..ならできるといったことは、ちょっと声に出してみればわかりますよね。

あとは歌手の個性というものも、ある程度までおおらかに受け入れてほしいと思います。もちろん私も作曲家自身のイメージに沿うように最大限努力はしますが、声楽の場合、歌い手が変わると音域だけでなく声の質も変わり、それによってテンポも変わってくる。作曲家の方にはそのことを分かってもらって、幅のある演奏表現を許容してほしいですね。そうでなければ、声のことをすごく精密に研究して、書かれたものをそのまま歌うだけでぴったりとイメージどおりになるような完璧な譜面を作るか、そのどちらかだと思います。』

・・・小林さんはフランスに長くお住まいになられていますが、フランスの音楽界の現状についてどう感じていらっしゃいますか?

小林『とにかくお金がなくなってきていますね。私はもう31年間フランスで活動していますが、先ほどお話しした、学生時代にコーエンの曲を歌ったときのギャラのほうが、今よりもずっと多かったんです。その当時のフランスという国は実に豊かで、とても住みやすかった。今はその金銭的な余裕がなくなってきて、音楽家は好きでなければやっていけない状態になってきています。

以前は補助金がしっかりしていたので、小さなアソシエーションでもきちんとしたコンサートをすることができました。でも今はそういったアソシエーションはどんどんなくなって、パリ管やオペラ座といった国から莫大な援助をもらっている大きな団体をのぞいては、よい演奏会ができなくなりつつあります。そのため、お金のある人がホールを借りて何かするというような形のコンサートが増えて、ある意味では日本のようになってきているところがあります。』

・・・フランスと日本という二つの社会をよく知っていらっしゃる小林さんから見て、双方の魅力的な点と欠点はどんなところでしょうか ?

小林『まず日本という国の素晴らしいところは、とても清潔だということです。空港に着いたときから、もうどこに行ってもきれいで気持ちがいい。人は親切で、食べものも美味しいし、電車などの交通機関も実にきちんとしている。つい先日も、私があとで乗る電車の時刻を調べてくださった方がいたのですが、もう数分刻みで乗換えが書いてあるんですね。フランスでは到底あり得ないようなことができてしまう。ただ音楽を教えるという立場から見ると、たとえば日本の音大、特に私立の学費は高すぎますね。フランスの音楽学校はほとんどが公立ですから、一年間3万円の授業料できちんとした教育が受けられる。また学生証があれば、とても安い値段で一流のオペラやバレエを見に行くこともできます。そういったことは日本ではほとんどない。

そして、これは日本の魅力でもあるのですが、とにかく物が豊富すぎる。日曜日でもどこに行ってもお店が開いているし、歩いているうちについ欲しくなって買ってしまったりする (笑)。これがヨーロッパでは、日曜日にはすべての店が閉まり、人っ子一人いなくなります。朝起きて教会に行って、お昼は郊外に住むお母さんの家で食事をして、ピクニックをしたり本を読んで一日が終わる、そんな生活です。物が豊富だということが、果たして良いことなのか悪いことなのか。

それからフランスの素晴らしいところは、子供が18歳になると親から独立をして、たとえ裕福な家庭でもほとんど親は援助をしないんですね。だから多くの学生がアルバイトをしながら生活しており、服装も慎ましやかなものです。それでも勉強したいという、そんな環境の中でやっている。それから日本はネオンも明るすぎますね。震災の後はしばらく減りましたが、今はすっかり元に戻ってしまって残念です。』

・・・日本人の音楽家、声楽家としてフランスやヨーロッパで活動されて来られましたが、大変だったことはありますか? あるいは日本人であることがメリットになったことはありますか?

小林『大変だったことは、もうたくさんありますよ (笑)。まずフランス語で歌うということ自体、とても難しい。これは日本人に限りませんが、フランス語は歌うのがもっとも難しい言葉のひとつですね。むかしラジオで歌ったときに「綺麗な声だけど言葉は全然わからなかったわよ」と言われたこともありました。もっとも、私は小さい頃から演劇が好きでしたので、その国の言葉や表現を学ぶのは大変ではありますが、あまり苦にはなりません。

それから、これはパリ音楽院時代に苦労したことなのですが、フランスの女性たちはみな自分にすごく自信を持っている。それは彼女たちが、小さい頃から「あなたはきれい、あなたはかわいい」と言われ続けて育っているからです。私の家庭が特にそうだったのかもしれませんが、日本では子供が自分を誇示するような育て方はあまりしないでしょう ? 彼女たちはどんなに歌が下手でも「私はきれい、私を見て」という顔で大きく胸元を開けて舞台に出ていく (笑)。反対に私はどうしても自分に対する自信が持てなかったので、どこか申し訳なさそうにしている。その時点ですでに差がついてしまっているのです。歌を聞けば私のほうがずっときちんと歌っているのですが。私が3回もプリを失敗したのもそこに原因があると思うんですね。フランスでは視覚的な部分をとても重視しますから。

ある日クレスパンさんのクラスで、ビデオに撮った演奏をお互いに見せ合うということをしたんです。私は自分の歌っているところを見るなんていやで仕方がなかったのですが、クレスパン先生は「ほらマリみて、可愛いじゃない、こういう顔をしている時あなたはとてもきれいよ」と言ってくれて、そうか、自分に自信を持たなきゃ歌なんて歌えないんだと思いました。日本的な謙遜もいいのだけれど、人前で歌うためには自分に強い自信がなくてはいけない。それが音楽院で学んだことであり、とても苦労したことでもありました。

一方でその謙遜の心を持っているからこそ、一生懸命に努力できるというのも日本人の良いところじゃないかしらね。いま振り返ってみると、当時自信満々で歌っていた彼女たちはその後歌うのをやめてしまっていたりする。こちらはいまだに努力しながら歌い続けているというのも、その気持ちがあるからかもしれませんね。』

・・・今後の演奏活動ついて教えて下さい。

小林『10月25日に東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団が、フランシス・プーランクの没後50周年を記念して「カルメル派修道女の対話」というオペラをやります。演奏会形式で、会場は東京オペラシティです。指揮は矢崎彦太郎さん、私は修道院長の役で出演します。この修道院長はもう高齢で病気にかかっていて、本来なら天に召されるのを威厳を持って受け入れるべき立場なのに、死にたくない、助けてくれと叫びながら死んでいく。そんなとても人間的な役です(笑)。

実はこの修道院長は、私が学生の頃にクレスパン先生がオペラ座で歌った役なんですね。クレスパンさんはこの作品の初演にもソプラノの役で出演していたのですが、年をとって声域が下がってきて、引退する少し前にこのアルトの役を歌いました。先生の演技力は素晴らしくて、最後にシスターのヴェールをとって「死にたくない ! 」と叫びながら息絶えたときには、本当に舞台の上で死んでしまったのではないかというくらい凄い迫力でした。いつか歌いたいと思っていたこの役に、自分がようやくふさわしい年齢になった気がします。いまは亡きクレスパン先生が歌った、私にとってはとても思い出ぶかい役なのです。』

・・・どうもありがとうございました。

(聞き手 : 夏田昌和)

インタビューでもお話しされている、小林さんが10月25日に出演されるプーランクのオペラ「カルメル派修道女の対話」については、以下のサイトで詳細を見ることができます。

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団・特集
〜歌劇「カルメル派修道女の対話」へのお誘い〜
http://www.cityphil.jp/concert/c2013/s20131025_1.html

オペラのチケットを購入する際、チケットサービス 03 5624 4002に電話をして「小林真理さんから」とお伝えいただくと、S席・A席・B席がいずれも一割引きの価格でお買い求めいただけるとのことですので、ぜひこの機会をご利用ください。

Marta

小林真理 メゾソプラノ

鎌倉市生まれ。3 歳よりピアノを始め、10 歳より中村浩子女史に師事し声楽を学ぶ。1979年東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業、同大学院修士課程に進み、引き続き中村浩子教授のもとでフランス歌曲を中心に研鑽を積む。同じ1979年にNHK新人演奏会、東京文化会館推 薦音楽会に出演、演奏活動をはじめる。1981年文化放送音楽賞受賞、第 1 回日仏声楽コンクールに入選、 さらにジュネーブ音楽院にてジェラール・スゼー氏によるフラ ンス歌曲のレッスンを受ける等の実績から、フランス音楽をより深く学ぶために留学を決意し、1982 年フランス政府給費留学生としてパリ国立高等音楽院に入学、レジーヌ・クレスパン女 史に師事、1987年同音学院のオペラ科を修了、1989 年にはウィ リアム・クリスティ氏の指導する同音学院の古典声楽科のクラスを1等賞を得て修了する。

パリ国立音楽院に在籍中の1983年頃より数々の国際声楽コンクールにて受賞 (1984年パリのフランス歌曲国際コンクールでフォーレ賞、1988年クレルモン=フェランのオラトリオ・リー ト国際コンクールではリタ・シュトライヒ・記念大賞) この頃よりバロックから現代音楽に至る幅広い演奏活動を始める。1993年にはその後進学した東京芸術大学博士課程において博士論文『オリヴィエ・メシアンの歌曲研究 – ハラウィを中心に – 』を書き、博士号を収得する。

コンサート活動においてはピエール・ブーレーズの指揮でシャトレ劇場でハリソン・バートウィッスルの〔メリディアン〕のフランス初演、フランス国立管弦楽団、フィルハーモニック・オーケストラと共演、オランダのコンセルトヘボウ・ホールにてシェーンヴェルクの〔4つのオーケストラ歌曲作品 22〕、佐渡裕指揮でオーケストラ・ラムルーとマーラーの交響曲第2番、アンサンブル・アンテルコンタンポランと数度共演、最近ではロストロポーヴィッチの指揮で小林真理のために書かれたピョートル・モスの〔スターバト・マーテル〕の世界初演を行い、ヨーロッパのみでなく、アメリカ、東欧、オーストラリアにてもソリストとして活躍している。

オペラの分野ではジェフリー・テイト指揮によるベルクの〔ルル〕の女流工芸家役、プッチーニの〔蝶々夫人〕のスズキ役、モーツァルトの〔コシ・ファン・トゥッテ〕のドラベラ役、ヴィヴァルディの世界初演〔真実の証〕のルステーナ役、オーストラリアのメルボルンフェスティバルでの新作オペラでグリーン・ルーム・アワード賞の最優秀オペラ歌手にノミネートされたドミニク・プロブストの〔マザーランド〕のチエン夫人役などを演じている。

クラシックの分野だけにとどまらずコルシカ島の男性のポリフォニーの重唱のグループ、ア・フィレッタと共演したり映画音楽の作曲家で現在フランスで大活躍をしているブルーノ・クレーとも度々一緒に仕事をしている。 CD録音も多数に及び、モーツァルトの〔レクイエム〕、〔マニュエル・ローゼンタール歌曲集〕、〔20世紀の作曲家の編曲による世界の民謡〕などがあり、最近では、〔japanese love songs〕、メシアンの〔ハラウィ〕などがある。

1999年にフランス国家教授資格を得て現在ストラスブールの国立音楽院で声楽の専任を勤め、ニースのアカデミー他、 各国でマスタークラスを行い、後進の指導にも情熱をそそいでいる。2009年の夏には、ヴァンセンヌの森の夏のフェスティバルでの野外コンサートで、タンゴの五重奏団エル・デスプエスと、ピアッツォーラを中心としたタンゴを歌い好評を博し、2010 年の1月には、倉敷の大原美術館のギャラリーコンサートにおいて、メシアンとショパンの歌曲をピアニストの児玉桃と共演し、今フランスで大活躍の現代音楽作曲家、フィリップ・ルルーの新作をジャック・メルシエの指揮でロレーヌ国立管弦楽団とフランスとドイツで初演した。5月には、ニューヨークのカーネギーホールで行われた平和へのコンサートで、フランスの室内楽のグループのソリストとして出演、7月にはフランス大使館の主宰で、ハノイのオペラ座でベルリオーズの「夏の夜」全曲をハノイのオーケストラと共演した。